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此処は二次創作ポケモン擬人化ブログです。                                    公式、関連の企業様とは一切関係ありません。 !人外/腐ネタ/年齢制限/その他もろもろ注意!
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バトル屋カテゴリーにするか迷ったけど、読み物感が強いのは一か所にまとめた方が良いと思いまして!おはよう御座います!!寝かせてください!!!
地名リストも更新しようと思ったけど絶対無理だよねー今の仕様だとコピペで改行とか吹っ飛ぶもんねーウヘヘヘ
良いBGMを糧に、頑張ります……(遠い目

追記からそれぞれのバトル屋についてうんぬん。主に歴史の授業です!
ついでに、現在公開中のバトル屋チームのランクリストを最初に。
チーム名(あるいは個人名)をクリックすると別窓でジャンプする仕様となっています。
その前に大雑把な説明を。

【バトル屋 】:戦闘を生業とする者たちの総称。ただし騎士団は除く。
【傭兵】:戦闘の中の戦闘を生業とする者。最近は何でも屋に近い。
【賞金稼ぎ】:賞金を懸けられたものの捕獲や討伐、回収を生業とする者。
【用心棒】:依頼されたものを護衛する者。
【払い師】:異形退治、および異形が起こした事件の後始末を生業とする者。
【フリー】:以上のバトル屋業をなんでもこなす者。フリーランスとも。
【忍者】:忍び里に所属する者。隠密活動を得意とする特殊戦闘員。
【探検家】:遺跡や未開拓の土地を調査、探索する者。
【教狩】:逆神の捕縛、処分を生業とする者。現在は認められていない職業。
【何でも屋】:依頼されたことなら何でもする者。

此方も俺設定色が濃いめなので、閲覧の際はご注意をば!
(カテゴリー移動しました)





----------------------------ランク一覧----------------------------
チーム名(ない場合は個人名):ランク順、あいうえお順:人数
  ※ チームあるいは個人名クリックで設定記事へジャンプ。
    複数ある場合はリーダーへ。(別窓)

◆ フリー
 黒き夢:ゴールドランク:8人
◆ 傭兵
 麟鳳亀竜:マスターランク:2人
 (傭兵時代の黒き夢:マスターランク:8人)
 ?(カノトミ&ルワカ):ブロンズランク:2人
◆ 賞金稼ぎ
 トリックスター:マスターランク:8人
◆ 用心棒
 嵐舞:5人
◆ 払い師(※ただしランク制度はできたばかり)
 いろほど:シルバーランク:個人
◆ 探検家
 ≪準備中...≫

※ なんでも屋にはランクがない。
------------------------------------------------------------------
            *

---------------------------傭兵について---------------------------

この島において、傭兵の始まりは上陸暦270年頃(今から1230年ほど前)にまで遡る。
当時は原種人型種問わず同族(あるいはタイプ等が近い種族)のみの群れ社会が一般的であり、天敵となるタイプの群に襲撃された場合、成す術がなかった。
その対策として違う群から戦士を借り受けたのが始まりだと言われている。
傭兵の先駆けともいうべき彼らの力は、100年戦争(上陸暦580~680年)の際、いかんなく発揮された。
現代の多種多様な種族により形成される町は、彼らの功績による影響が大いにあると見られている。

上陸暦700年、島が王国政に似た形態を取るようになり、彼らもまた傭兵という名称を得る。
しかし傭兵という言葉が広まるにつれ、彼らの仕事は減っていった。史上最悪の内戦を終えた島民たちは戦に辟易しており、争いのない時代を望んだからである。
上陸暦1060年、現代では主流となった、多種多様な種族により形成された群が増え、町や村という概念が生まれる。
しかしそれは異なる習慣を持つ者たちの集合体であり、群れ社会のなかに生まれた不和は人々の心を蝕み、秩序を乱した。
こうして上陸暦1100年、再び島に血と暴力が滲み出し、それに伴うようにバトル屋たちは息を吹き返すのである。

上陸暦1160年、とうとう町や村の中のみで処理しきれなくなった不和は外にまで及び、町や村の間でまで衝突し始めた。
島内のあちこちで紛争が起きては静まり、また起きては静まるという繰り返しが40年も続いた。この時代が傭兵の最盛期とも言われている。

この後、傭兵たちは安定期に入る。
上陸暦1330年には“夜明け色の悪夢”討伐に招集され、上陸暦1400年は“ミュウの反逆”が始まり紛争の再発。 今から16年前の上陸暦1484年には“夕焼けの村焼失事件”による動乱で、何度目かの大舞台に立った。
しかし“嘆きの冥王”が討伐された上陸暦1490年からは仕事が減っており、現代の傭兵たちは賞金稼ぎなど、他のバトル屋の仕事にまで手をだしている。
この為、現在では傭兵というと何でも屋のような仕事を連想する者も多い。
用心棒と賞金稼ぎはこの事を快く思っておらず、特に傭兵本部と賞金稼ぎ本部の仲の悪さは有名。
また、傭兵内でもこのやり方に疑問を感じ、フリーランスに転向する者がいる。
ただしランク昇格条件を全てのバトル屋業でしなくてはならず、また試験官にはフリーランスへ偏見を持つ者も多い為、昇格が難しい。
結果、集客が難しく、フリーランス業を本業とするのは困難だと言われている。

-------------------------賞金稼ぎについて-------------------------

傭兵や用心棒に比べると、賞金稼ぎの歴史はとても浅い。
彼らの発祥は上陸暦1060年(今から440年前)、一つの群に多種族が集まってからである。
不和に満ちていたとはいえ群の中には当然掟があり、それを犯した者は厳罰に処される。掟を破ってしまった者の中には罰を恐れて群を出る者もいた。
そんな者たちを群れの外まで追いかけ、群長たちに代わって裁きを与える――それが賞金稼ぎの始まりとされている。
当時、彼らは“咎追い”と呼ばれた。

咎追いは他の群と接触することも多く、知られてはならないこと、知ってはならないことを見聞きしてしまう事も多かった。
そんな彼らを群という社会は心底恐れ遠ざけるが、決して虐げたり軽んじたりはしなかった。その牙が自分たちに向くことを恐れたが故である。
畏怖の対象であった彼ら咎追いだが、彼らの歴史はわずか100年で幕を閉じる。

上陸暦1160年、町や村単位での紛争が起きると同時に、咎追いは姿を消した。
他の村や町へ入れば外敵とみなされ、人格や目的に関わらず殺されてしまう時代になった為だ。
こうして咎追いの歴史は、追う者追われる者双方が行き場を失くした形で終わった。
彼らの歴史が次世代、すなわち賞金稼ぎ達へと受け継がれたのは上陸暦1200年。聖都から“偽教狩り”が各地へと広まった時である。

上陸暦1330年、“夜明け色の悪夢”が史上最高額の賞金を懸けられるまで、賞金首を追う者、逆神を追う者の間に区別はなかった。
当人たちは志や目的の違いに違和感を感じていたが、現代以上に逆神への差別感情が強かったこの時代、第三者にはどちらも同じに映っていたという。
聖騎士団以外の騎士団は賞金稼ぎたちに“夜明け色の悪夢”討伐への協力を要請したが、一部の者たちはこれに従わず、逆神を追い続けた。
この事に抗議した蒼海騎士団に、聖騎士団は以下のように弁明したという。「彼らは逆神討伐の使命を帯びた“教狩”の徒であり、賞金稼ぎではない」
それは紛れもなく屁理屈であったが、これを期に彼らは教狩という名を与えられ、賞金稼ぎと区別化された。

賞金稼ぎの仕事は時代を問わず、安定している。これはどの時代でも安定した需要があるからこそである。
しかし当人たちにとってみれば、治安が良い時代の方が生き易いという。
これは平和を愛するという事などではなく、犯罪者が増えると獲物は増えるが、その分だけ単価が下がるからだ。
余談だが、毎年行われる各バトル屋本部が一堂に会し、情報交換を行う場がある。
この時、彼ら賞金稼ぎの本意と建前を傭兵本部長がなじり、お返しに賞金稼ぎ本部長が実質なんでも屋となっている傭兵たちの現状に毒づくという一連の流れが、今ではすっかり名物となっている。ちなみに双方、体制改善をする気は皆無。

--------------------------用心棒について--------------------------

用心棒の発祥は傭兵と全く同じ、上陸暦270年頃(今から1230年ほど前)である。
しかしこれはあくまで本流、幹の部分。 用心棒と傭兵が枝分かれするのはその先、上陸暦1060年のことである。

二度にわたり先述したとおり、上陸暦1060年は多種族により形成された群――町や村が生まれ、同時に不和が生まれ始めた年である。
用心棒の始まりはそんな中の、隣人たちへの疑念に起因する。
また当時、戦士たちは長の命でしか動けず、長との関わりが薄い個人は見放されることが多かったのも、用心棒を支える一因となった。

そんな後ろ暗い背景こそあるが、現代において、用心棒というバトル屋は先述した2つよりも社会的に信頼されている。
人を守るというのは一般にヒーロー、正義の味方、秩序の徒などを連想させる。
しかし用心棒にも「金を払われれば何でもする」者というのは存在し、そういう者は賞金首の護衛をしていることもある。
これは用心棒本部には頭の痛い問題だが、日に何百件とこなされる依頼を全て管理などできないというのもまた現実で、頭痛が取り除かれる日は遠い。
その対策の一環にと、長期契約の仕事は本部が一通り目を通しているが、掻い潜る方法などいくらでもあり、成果はあまり得られていない。

--------------------------払い師について--------------------------

以上の3つとは異なり、払い師はその起源をイッシュ海底遺跡に持つ。
シェイミのいないイッシュ海底遺跡は邪気を浄化できなかったからこそ、邪気と異形への対抗術研究に余念がなかった。
加えて彼らはカロス海底遺跡とは違い、100年戦争前の本土を見てきた生き証人、メラルバ種族長(ウルガモス♂ミオ)その人がいた。
彼は邪気研究家と協力し、上陸暦1120年(今から380年ほど前)、ついに邪気除けのための技術として“退魔術”を完成させる。払い師の誕生はこれと時を同じくする。
それらは期せずして、本土で“邪血狩り”が改正されたのと同時期であった。

元々、彼らは払い師ではなく“祓い師”といった。これはメラルバ族長が「邪気を祓う者」という意図でつけたものである。
しかし異形退治、邪気除けの専門家ならではの弱点大きな弱点があった。
どうしても異形を倒し邪気除けの術を張っている間に、人より多くの邪気を浴びてしまうのである。また、異形は断末魔にこそ、放つ邪気の量も濃度も最高潮に達する。
彼らは普通に生活する者たちと比べ、より短い間に多くの邪気を浴びるため、後天的異形化のリスクが高かったのである。
この事から彼らは「報酬より高いものを払っているのだ」と言われ、今の“払い師”という字が広まり、定着した。
現在でも祓い師という者もいるが、ごく少数であり、また本土の住人には伝わらないことが多い。

しかし上陸暦1400年。“悪魔狩り”の衰退に伴い、退魔術を習得した払い師はその割合を減らしてしまう。
つまり払い師の中に、正しく退魔術を習得していない者が増えてきたのである。
彼らの仕事が表舞台を退き、正当性に欠いても目に留まり難くなったのだ。
またこの頃は旧教団の全盛期であり、メラルバ族長から直接退魔術を習うことが難しくなっていたのも、これを助長した原因である。
上陸暦1470年に旧教団は王族の干渉により解体されたが、その頃になると払い師はほとんど代がわりしており、むしろ「正しい退魔術」なしの仕事に慣れてしまっている払い師がほとんどであった。
この為、改めて本流を習おうとする者は少なく(そもそも自分の術が間違っていることを知らなかったという者も多い)、現在では本流が使える者は片手で数えられるほど数を減らしてしまった。

イッシュの民が戻るまでの間、本土にも払い師と似たような職業の者はいた。
しかし彼らは“退魔術”とは異なる術を用いており、かつ邪気除けの技術がなかった。
その為「異形専門の賞金稼ぎ」や、「異形ハンター」「異形キラー」などと呼ばれていた。現在、彼らのほとんどは払い師に転向している。当然ながら、彼らは先述した「正しい退魔術」を身に着けていない。
現在、イッシュの民もそれ以外も、払い師=異形退治屋という認識であるが、これは間違い。 倫理的には間違いなく「正しい退魔術を身に着けている者」だろう。しかし、これも正しくない。
社会的には「払い師連盟に仮名している者」というのが正解である。つまり、賞金稼ぎが異形の賞金首を狩ったからといって、いきなり払い師になるわけではないということだ。
また、本土にとっては新しい職業である為、払い師にはまだ本部がない。
他のバトル屋に習い王都に本部を設立予定だが、本部長を誰とするかで揉めており、設立の日は目途すら経っていない現状だ。(メラルバ族長が候補筆頭なのだが断られ、では彼の位置づけをどうするのかと尚更揉め、議論は日に日に泥沼化している)

---------------------------忍者について---------------------------

忍者は他のバトル屋と違い、明確な起源が分かっておらず、解明もされていない。これは彼ら忍びの者たちが自ら闇に葬ったからである。
それを調べるのは忍里だけでなく、その昔彼らを召し抱えた王族たちへの反意と見なされ、抹殺される――というのは迷信だが、忍者たちでも自らの起源を知らない者がほとんどであるという。噂では里長だけに伝えられる機密とのことだが、真相は不明。

バトル屋のランク制が始まったのは上陸暦1200年(今から300年ほど前)のことだが、忍者だけはそれ以前からランク分けのようなものがあった。
これこそが現代におけるランク分けの着想であると唱える者もいるが、これには否定的な意見の者が多い。
彼らは他のバトル屋とは違い、ランクが4段階しかないのである。また名称自体もかなり印象の違うものとなっている。
具体的に、上から「里長」「上忍」「中忍」「下忍」。里長その名のとおり忍里の長、現在は“蟲里”を治めるツチニン族長ただ一人を示す。

現在では忍里は虫タイプのみが暮らすことを許された“蟲里”ただ一つである。しかし以前は他に3つもの忍里があった。
これらも蟲里同様、起源は不明だが、その里が滅びた時期は明確に、あらゆる歴史書に記されている。

忍里“獣里”は様々のタイプの忍者を有する忍里であった。
彼らは緊急時における対応力の高さと、高い戦闘能力が売りで、4つの忍里がひしめく時代において最強の名を欲しいままとしていた里である。
彼らは上陸暦690年頃、イッシュの民が島を去ったのと同時期に終わりを迎える。
この里はゾロアーク族の里長とルカリオ族の里長2人が治めていたが、内戦により分裂。
イッシュの民としてゾロアーク族が海底遺跡に移り住んだのを期に、里自体を解体したと見られる。

忍里“陰里”は毒タイプ、ゴーストタイプ、悪タイプからなる忍里であった。
彼らは尾行と暗殺を得意とし、また特殊能力が使える者も多かった。現代における「忍者=闇に生きる隠密の達人」というイメージは彼らからきている。
しかし上陸暦1200年に偽教狩りを聖都が発布。異能力を持つ彼らの中には逆神とされる者も多く、社会から孤立してしまう。
そうして彼らの里は衰弱し、50年後の上陸暦1250年頃、滅びてしまった。
この事で彼らは聖都を心底怨み、復讐の機会を伺っている――という、ちょっとした都市伝説がある。

忍里“羽里”は唯一王族専属の――レックウザ専属の忍里であった。彼らは天空騎士団の特殊部隊という位置づけで、当然ながら飛行タイプのみで構成されていた。
しかし上陸暦1400年~1410年の間に、それまで王族最強とまで言われていたレックウザ“祈りの天声”の力が衰え、空の治安が悪化。
それに伴い、天空騎士たちは元々異質な存在であった羽里の忍者たちに疑いの目を向けたのである。
そのことを知った里長はレックウザへの忠義を示すため、自らの里を解体し、一個人として天空騎士団に再入団した。
これにより、上陸暦1430年、羽里も消滅したのである。

結果、現存するのは虫タイプで構成された“蟲里”のみとなってしまった。
彼らは個々の能力はそれほど高くもなく、他の里と比べ最弱とまで言われた。
が、彼ら最大の長所は集団としての能力であり、その抜群の統率と部外者には理解し難いほどの信頼関係は、他とは一線を隔するものであった。
結果として彼らの里だけが生き残り、今日ではその地位を不動のものとしている。





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HN:
一条離子
性別:
非公開
趣味:
良くはない
自己紹介:
pkmn大好き擬人化描きの腐&夢。異色肌はデフォでトカゲ人が性癖。
性格はビビリの偏屈でうっかり屋。

絵支部と呟きではHNが違います。お好きなほうでお呼びください。
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